今日は今年の何日目?
今日は今年の291目ですね、
手帳にその日付が有るものを時々見ます。
誰がこのカウントを必要としているのでしょうか?
需要が有るから定着しているに相違ないとおもいますが、
どうやって聞いていいか分からないことってありますよね。
(Yahoo 知恵袋が ゴールなのかもしれませんが)
実際、すぐ答えてくれる人がいるといいのですが、なかなか居ない
ものですね、むしろ、そのような人がいれば
きっと日々、目にするものの感じ方が近い人で
シンパシー感じちゃうんでしょうね。
”気にしー”なのかほぼ毎日ちょっと疑問に思うことが有りますが、
確認する前に忘れてしまいます。
ひとつひとつが重要なことではないという事でしょうが、
これらすべてがつながると
きっと、いろんなことが見えてくるのではないのかな?
考えすぎかな?でも、今年の何日めかが必要な職業ってやっぱり気になる。
デカルトの”我思う故に我在り”とか、
ニーチェの”神は死んだ”など、
そういえば日本語で頭にあって、原文となんか微妙にニュアンスが違ったり
概念が異なるのではないか?いいのかこれ?と、大人になってから
外国語を勉強しなかったことを後悔しているオオツカでした。
セーフティネット
黄昏時、茜色に染まっていく中
射光に照らされ燃える真っ赤な彼岸花。
トーンを落とした緑とのコントラストは、
日本的な美しさを感じていましたが・・・
その横の池の入口に ”危険入るな!!” の看板
昔もあったけど、今はこんなところまで?感じてしまうほどの
表示ぶり、
彼岸花はこんなに咲いているのに、いいの?
食べることは無いでしょうが、毒ですよ。
最近よく見る危険を告知する看板は、子供の安全の為ではなく
何かあった時に、責任に問われないための表示なのだなと、
つくづく感じ、なんか違うのではないかと不思議に思いました。
はっきり教わった記憶は無いですが、危険なものとか、危ないものは
知っています。学校ではなく、親兄弟、近所の大人たちに教わっていたような
気がします。
学校帰りに怒る有名なおじさんが、実は優しい人で、
近所の目を気にしない、勇気ある、子供たちを心配していた
いい大人だったのだと、今頃思う、オオツカでした。